|
User
Category
Monthly Archive
Latest Comment
WebFrog Blog 1.02
|
2008/03/03(Mon)
日露戦争の大勝は、その当時の海軍が、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、亀甲船を駆使して島津軍を苦しめた李瞬臣将軍を研究し、その霊を祀ったといわれていることにもその勝因があるだろう。東郷元帥は日露戦争を日本という1つの国にとらわれることなく、東アジア全体の決戦と位置づけた。
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」と秋山真之参謀が起草し大本営に一報を打電した。また、艦隊に対し、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」と旗艦三笠の艦上にZ旗を掲げて全軍の士気を鼓舞した。東郷は丁字戦法「トーゴーターン」を使ってロシアのバルチック艦隊を撃破した。これにより日本は西洋の列強と肩を並べたのである。
明治38年9月、明治天皇は日露戦争の終結を記念して、連合艦隊司令長官 東郷平八郎元帥を主賓とする園遊会を催した。折から東京湾に停泊していた米戦艦「オハイオ」にも招待状が送られたが、上級士官は招待に応ぜずニミッツを含む六人の候補生が派遣された。ニミッツは東郷元帥を自分たちのテーブルに招き、東郷元帥もこれを受け入れた。ニミッツは東郷元帥の日本海海戦での指揮を手本とし、生涯尊敬し続けた。
東郷元帥は1934年(昭和9年)、87歳で死去。6月5日に国葬が執り行われた。
チェスター.W.ニミッツ米太平洋艦隊司令長官は実直な人柄で、部下の将兵に親しまれた。ミッドウェー海戦では、現実主義に徹した命令により、見事に日本海軍を打ち破った。そして戦後、日露戦争で活躍した旗艦三笠の保存に尽力した。そして、ハルゼーが三笠の艦旗を、ロシアに引き渡そうとしたことを阻止している。
勝利の方程式は 李瞬臣→東郷元帥→ニミッツ元帥と続いていく。東郷元帥には李瞬臣が、そしてニミッツ元帥には東郷元帥が傍にいて、霊界から協助したであろう。
東郷元帥、ニミッツ元帥も、国の違いを超えて、良いものは良いとして、受け入れていく姿勢があった。現代に生きる我々も、心の眼を開いて、良いものは良いとして受け入れていかなければならない時ではないだろうか。
by 管理人 |
2008/03/03 00:14:09 |
管理人のコメント |
comment( 0) |
trackback( 0)
|
|